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東京高等裁判所 昭和56年(ネ)2714号 判決

控訴人

高木洋章

控訴人

高木和子

右両名訴訟代理人

塩谷順子

鈴木真知子

吉永精志

若柳善朗

西内聖

被控訴人

右代表者法務大臣

秦野章

右訴訟代理人

真鍋薫

外三名

被控訴人

徳江幾郎

右訴訟代理人

真鍋薫

主文

一  原判決を次の括弧内のとおり変更する。

「1 被控訴人国は控訴人高木洋章及び同高木和子に対し各金四五〇万円及び内金四〇〇万円に対する昭和五三年九月三日から、内金五〇万円に対する本判決確定の日の翌日から各支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

2 控訴人らの被控訴人国に対するその余の請求及び被控訴人徳江幾郎に対する請求を棄却する。」

二  訴訟費用は第一、二審を通じ、控訴人らと被控訴人国との間では、控訴人らに生じた費用を二分してその一を被控訴人国の負担、その余を各自の負担とし、控訴人らと被控訴人徳江幾郎との間では、全部控訴人らの負担とする。

事実

一  控訴人ら訴訟代理人は「1 原判決を取り消す。2 被控訴人らは各自控訴人らに対し金二〇〇〇万円及びこれに対する本件訴状送達の日の翌日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。3 訴訟費用は第一、二審とも被控訴人らの負担とする。」との判決並びに仮執行の宣言を求め、被控訴人ら訴訟代理人は「本件各控訴を棄却する。」との判決を求めた。

二  当事者双方の主張及び証拠は、次のとおり訂正、付加するほかは、原判決事実摘示と同一であるから、その記載を引用する。

1  原判決三枚目表一行目「夫婦である。」を「夫婦であり、控訴人洋章は昭和二三年一〇月六日生れ、控訴人和子は昭和二四年六月二三日生れで、右両名の間には昭和四九年四月一日に生れた長男洋之がいる。」と改める。

2  同一三枚目表一〇行目「外蔭部」を「外陰部」と改める。

3  同一六枚目表一〇行目「胎盤周緑洞出血」を「胎盤周縁洞出血」と改める。〈中略〉

6  控訴人らの主張

控訴人らは請求を減縮し被控訴人らに対し各自慰藉料一九〇〇万円、弁護士費用一〇〇万円以上合計二〇〇〇万円及びこれに対する本訴状送達の日の翌日から支払済みに至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

7  証拠〈省略〉

理由

一控訴人洋章と控訴人和子が夫婦であること、控訴人洋章は昭和二三年一〇月六日生れ、控訴人和子は昭和二四年六月二三日生れであり、右両名の間には昭和四九年四月一日に出生した長男洋之がいること、被控訴人徳江幾郎が被控訴人国の維持管理する厚生省附属の国立相模原病院産婦人科に勤務する医師であり、鈴木秀子及び片桐弘子が同病院に勤務する助産婦であること、控訴人和子は昭和五二年一月妊娠し、昭和五二年三月五日から出産予定日であつた同年一〇月二一日までの間前後一五回にわたり本件病院で主として被控訴人徳江の診察を受けていたこと、控訴人和子には出産の障害となる病気等の異常がなく、胎児は順調に成育していたこと、控訴人和子が昭和五二年一〇月二三日午前二時三〇分ごろ本件病院に電話し、当直助産婦の指示を受け、控訴人洋章に付添われて救急車で同日午前三時二〇分ごろ本件病院に到着して入院したこと、被控訴人徳江は当夜本件病院の産婦人科の宿直医であり、鈴木秀子及び片桐弘子は当日午前〇時から午前八時三〇分まで本件病院の深夜勤の助産婦であつたこと、被控訴人徳江は控訴人和子の入院時診察しなかつたが、助産婦片桐弘子が控訴人和子の症状を前期破水と見て被控訴人徳江にその旨を電話で報告し、被控訴人徳江の指示によりビスタマイシン筋注をしたこと、控訴人和子が同日午前七時ごろブザーで助産婦を呼び出したこと、その際被控訴人徳江が控訴人和子の診察に行かなかつたこと、被控訴人徳江は同日午前九時二〇分ごろ控訴人和子を入院後初めて診察し、直ちに帝王切開手術の用意を命じ、同日午前一〇時四〇分ごろ同手術により胎児を娩出したが、右胎児は既に死亡していたこと、右胎児は体重三五六〇グラムの男子であり、同日午前九時二〇分ごろまで児心音が聴取されたこと、右胎児の死因は常位胎盤早期剥離であつたことは、当事者間に争いがない。

二〈証拠〉を総合すると次の事実が認められる。

控訴人和子は妊娠三か月目ごろの昭和五二年三月五日から本件病院で診察を受け、被控訴人徳江が主にその診察に当つていた。控訴人和子は一五才ごろから自律神経失調症に罹患し、その治療を継続していたが、妊娠、分娩には別段支障がなく、胎児は順調に発育していたところ、妊娠二二週目ごろから尿蛋白が検出され、その治療のため被控訴人徳江から塩分を制限するよう指示を受け、さらに貧血が見られたため造血剤の投与を受けて服用していた。控訴人和子は出産予定日の昭和五二年一〇月二一日に出産の兆候なく経過し、同月二三日午前二時三〇分ごろ自宅で就寝中、陣痛がないのに突然性器から体外にピンク色をした湯のようにサラサラした液体が多量に漏出し(前期破水と認められる。)、めまい、息苦しさを感じたため本件病院に電話し、応待した助産婦片桐弘子にその旨報告し、同助産婦から入院するよう指示を受けた。そこで、控訴人和子は控訴人洋章に付添われて同日午前三時二〇分ごろ救急車で本件病院に到着したが、その間羊水の流出は止まらなかつた。助産婦片桐弘子は、控訴人和子が入院した際処置室で控訴人和子のあて物を見てピンク色の羊水の漏出を認め、下腹部を検査して控訴人和子に下腹部緊張感があるが、陣痛は発来しておらず、児心音は一二・一二・一二と正常であること等を認め、出産が間近かであると判断してビニールを敷くなどの出産準備をし、宿直医師の被控訴人徳江に対し電話で控訴人和子が陣痛発来前の前期破水で羊水が中等量漏出し入院した旨報告し、被控訴人徳江の指示で控訴人和子に対し胎内に細菌の侵入を予防するためビスタマイシンの筋注をし、仮眠時間が終了した助産婦鈴木秀子に対し控訴人和子の状況を「ジャブジャブね」と言つて羊水の漏出が多量であることを説明したが、助産婦鈴木秀子、同片桐弘子は他に措置をとらず、その後被控訴人徳江も直接診察しなかつた。控訴人和子は同日午前七時ごろ性器から体外へ多量の液体が漏出するのを感じ、助産婦をブザーで呼び出し、これに応じて来室した助産婦鈴木秀子に対しその旨を告げたが、鈴木秀子は控訴人和子のあて物を見もせず、食事のため待機室に来るよう指示して立ち去つた。控訴人和子はめまい、息苦しさを感じながら待機室に行き、あて物の脱脂綿を取り替えるため同室備付の便所でT字帯を広げて見ると、真赤な血液が雫になつてビニールを落下し、あてていた脱脂綿も真赤に染まつて出血した血液でずつしりと重く、洋式便器も出血した血液で汚れているのを見て多量の出血であつたことを認め、あてていた脱脂綿を便所備付の汚物入れに捨て新して脱脂綿と取り替え、待機室のベットで横臥していた。しばらくして、助産婦鈴木秀子が食事を運んで待機室に来たので、控訴人和子は多量に出血したことを告げたところ、助産婦鈴木秀子は控訴人和子が取り替えたあて物を見て粘液性の鮮血の付着しているのを認め、約三〇〇c・cの中等量の異常出血があつたものと推測し、一応胎盤早期剥離を疑つたが、児心音を聴取したところ、一二・一二・一三と正常であつたことから右出血を陣痛が発来して分娩の開始される際に出血することのあるいわゆる「おしるし」と速断し、便器及び汚物入れに捨てたあて物の脱脂綿等を観察して控訴人和子から漏出した血液の色・分量等を調べ、その出血の具体的状況を宿直医の被控訴人徳江に対し報告し診察を求めることをせず、同控訴人を午前八時半すぎまで待機室に寝かせたままにしていた。

なお、控訴人和子は、そのころまで助産婦鈴木秀子に対し板状に張る腹緊のあることを訴えていたが、陣痛は発来していなかつた。

被控訴人徳江は、控訴人和子の入院直後に助産婦の片桐弘子から控訴人和子が前期破水で入院した旨の報告を受けたのみで、当日午前七時ごろの異常出血については助産婦から何らの報告を受けなかつたため、控訴人和子に前期破水のほか右異常出血のあつたことを知らないまま経過し、当日午前九時二〇分ごろ分娩台に寝かされていた控訴人和子を入院後初めて診察し、控訴人和子に陣痛もないのに異常出血した跡があり、さらに内診したところ子宮口は、三センチ程度しか開大しておらず、口唇厚硬であり、かつ、約一五〇c・cの暗赤色をした粘稠性の血液が漏出し、先進部が児頭であつて直接触指できるが、胎盤には触れず、腹部は板状に張り、児心音も九・一〇・九とやや微弱であつたので常位胎盤早期剥離ないし辺縁洞出血と診断し、控訴人和子に酸素吸入をさせ、さらに深夜勤の助産婦と交替した日勤の助産婦に対し、控訴人和子の午前七時ごろにおける出血状況の調査を命ずると共に「帝切、帝切」と叫んで直ちに帝王切開手術の準備をさせ、控訴人和子に同日午前一〇時一五分麻酔を施し、麻酔医立会のもとに同日午前一〇時三七分から腹式深部帝王切開手術を施行し、同日午前一〇時四三分胎児を娩出したが、胎児は啼泣せず、胎盤早期剥離による酸素供給不足により既に死亡しており、子宮内は出血した暗赤色の血液で充満していた。同日午前一〇時四四分胎盤を娩出したが、胎盤は子宮内底部で三分の一付着していたにすぎず、三分の二は剥離していて、すでに重症の常位胎盤早期剥離にまで進行していたことが判明した。同日午前一一時五〇分手術を終了した。

本件病院においては、昭和五二年一〇月ごろ、産科、婦人科の医師は産科二名(医長、医師一名)、婦人科二名(医長、医師各一名)であり、右四名が日中は外来二名、病室二名で診療を担当し、かつ、そのうちの一名が交替で毎夜宿直をし(四日に一度宿直日が回つてくることになる。)、土曜、日曜は一人が続けて当直をしていた。助産婦は数十名おり、午前〇時から午前八時三〇分までを深夜勤として交替で二名がこれに当つていた。本件病院のベッド数は、産科三二床、婦人科一一床で、一日につき産科の平均入院数は約二五人、出生児の平均人数が約一〇人であつた。本件病院産科では、医師に過重な負担のかかることを避けるため、夜間妊婦が出産のため入院してきたときは、まず宿直の助産婦が検査し、異常があれば宿直の医師に報告して診察を求め、異常がなければそのまま助産婦の手で出産させる取扱いをしていた。産科の医長である被控訴人徳江としては、助産婦が専門の教育を受けて相当の智識を有し、実地にも熟練していることから、右のような先ず助産婦に検査させ異常があつた時に報告させる取扱いに不安を抱いていなかつた。

以上の事実が認められ〈る。〉

三控訴人らは、被控訴人徳江は控訴人和子の入院後六時間も深夜勤務の助産婦らに処置を委ねて自ら診察せずに放置し、控訴人和子の常位胎盤早期剥離が進行して重症となり、胎児も死亡寸前の状態となつて最早手遅れとなつたころ初めて診察し、常位胎盤早期剥離に気付いて帝王切開手術をして胎児を娩出したが、時機を逸して胎児の生命を救えなかつたのであるから、医師法一九条一項に定める診療義務及び同法二〇条に定める無診察治療の禁止に違反した過失があり、民法七〇九条によりこれによつて被控訴人らの被つた損害を賠償すべき責任があり、被控訴人国は、被控訴人徳江の使用者として民法七一五条により被控訴人徳江の右医療上の過失に基づき控訴人らの被つた損害を賠償すべき責任がある旨主張するので、判断する。

一般に妊婦が出産のため入院してきた場合には、深夜であつても先ず当直医が診察し、異常の有無を確かめ、必要な指示を助産婦に与え、出産が始つた場合にはこれに立会うことが望ましく、本件病院におけるように、まず助産婦が検査し、異常を認めた場合のみ当直医に報告して診察を求め、異常を認めなかつた場合には特に宿直医の診察、立会を求めずそのまま自分の手で出産させることとする取扱いには問題の存するところであるが、助産婦が出産に関して医師には及ばないとしても相当の専門的智識及び経験を有し、通常は助産婦の手のみによつて安全に出産させうるものであること、妊婦の訴又は助産婦の観察により助産婦が妊婦の異常を発見し直ちにこれを当直医に報告することは助産婦に過重な負担を課するものとは考えられないこと、妊婦が出産のため深夜入院した場合、その都度当直医が直ちに診察し異常の有無を確かめ、出産に立会うことは、医師の負担が大きく、医師の疲労、翌日の勤務への悪影響も無視できないこと等を斟酌すれば、右本件病院産科の取扱いがあながち不当であるとは断言できないのであつて、被控訴人徳江が右のような従前の勤務体制をとつて当直していたからといつて、直ちにこれを同人の過失とすることはできない。

そして、被控訴人徳江が前記のような勤務体制をとつて当直し、控訴人和子を入院後直ちに診察しなかつたとしても、そのことが医師法一九条一項の診療義務違反になるということはできず、また、被控訴人徳江は、昭和五二年三月五日から同年一〇月二一日までの間前後十数回にわたり控訴人和子を診察してきており、たまたま一〇月二三日破水で深夜入院してきた控訴人和子につき助産婦片桐弘子の報告に基づき菌の感染を防ぐためビスタマイシン筋注の指示をしたとしても、それが医師法二〇条にいう自ら診察しないで治療したことになるとはいえず、仮に無診察治療になると考えるとしても、それと右胎児の死亡との間には相当因果関係が認められない。

また、右事実によれば、被控訴人徳江は自己の診察により控訴人和子の常位胎盤早期剥離か辺縁洞出血の診断をし、直ちに帝王切開手術の準備を命じ、遅滞なく右手術を施行したのであるが、その時にはすでに胎児は死亡していたのであつて、右手術の実施方法にも過失は認められない。

そうすると、被控訴人徳江に診療上の過失があつたことを前提とする控訴人らの被控訴人徳江に対する民法七〇九条に基づく損害賠償請求及び被控訴人国に対する同法七一五条に基づく損害賠償請求は、その余の点について判断するまでもなく理由がなく、採用することができない。

四控訴人らは、被控訴人の被用者鈴木秀子は助産婦として深夜勤務中昭和五二年一〇月二三日午前七時頃控訴人和子から出血の訴を聞いたのにこれを当直医である被控訴人徳江に報告して診察を求めることをせず、そのため適切な措置を取る機会を失わせ、胎児を死亡せしめた過失があり、被控訴人国は同助産婦に対する使用者として民法七一五条による損害賠償責任がある旨主張するので、判断する。

前掲各証拠によれば、分娩開始の際のいわゆる「おしるし」は、分娩が開始し、子宮口の開口期初期に陣痛が規則正しく反復し、胎児の下向部が骨盤腔に陥入して、多くの場合血液を混じた粘液を出す産徴即ち血性分泌であり、これは子宮頸管の開大に従つて卵膜の下極が子宮壁から剥離し、脱落膜血管が破れることによる出血と、その時期まで右頸管に閉じられていた粘液が共に排出されることによるものであつて、妊娠末期における分娩開始前の異常出血は、右のいわゆる「おしるし」ではなく、常位胎盤早期剥離、前置胎盤に基づくことが多く、中等症程度の常位胎盤早期剥離は、中等量の出血、腹部の緊張、児心音の乱れ等の症状を示すが、児心音が正常であることもあり、妊娠末期における異常出血は、看過できない異常事態であつて早期に適切かつ迅速な措置を講ずる必要があること、蛋白の尿への排出があるような場合には常位胎盤早期剥離を生ずる可能性が高く、また、急激な羊水減少も常位胎盤早期剥離の発生要因の一つに数えられていること、助産婦鈴木秀子、同片桐弘子は、控訴人和子が尿中に蛋白を排出していたことをカルテで知り、かつ、前期破水して多量に羊水の漏出をしていることも知つていたことが認められ〈る。〉

右認定事実及び前記二において認定した事実によれば、助産婦鈴木秀子は、昭和五二年一〇月二三日午前七時ごろ控訴人和子から出血の訴を受けた際、その職責上直ちに出た血の色及び分量の大要を把握し、宿直医である被控訴人徳江にそれを報告し診察を求めるべき注意義務があつたものというべく、児心音が正常であつたことに安心して、右異常出血を単なる「おしるし」と誤認し、被控訴人徳江に報告し診察を求めなかつたのは、鈴木秀子の過失であるといわなければならない。

そして、前記事実によれば、鈴木秀子が直ちに被控訴人徳江に報告していたとすると、被控訴人徳江は昭和五二年一〇月二三日午前七時ごろ控訴人和子を診察し、常位胎盤早期剥離か辺縁洞出血の診断をし、直ちに帝王切開手術の準備を命じ、その時刻にはまだ児心音が正常であり、同日午前九時二〇分ごろにもやや微弱ながら児心音はあつたのであるから、準備のでき次第直ちに帝王切開手術を施行することにより胎児の生命を救いうる可能性が大であつたと認めるのが相当である。よつて、鈴木秀子の右過失と胎児の死亡との間には相当因果関係があるものというべく、被控訴人国は、民法七一五条により、その被用者である鈴木秀子の過失による胎児の死亡の結果控訴人らが被つた損害を賠償する義務がある。

五原審における控訴人和子、同洋章各本人尋問の結果及び弁論の全趣旨によれば、控訴人らは胎児が無事出産するのを待望し、控訴人和子は慎重を期し国立病院である本件病院に入院したのに、常位胎盤早期剥離の発見を適時にすることを妨げた鈴木秀子の過失により、出産直前胎児が死亡するに至り、これにより控訴人らは甚大な精神的苦痛を被つたことが認められ、その他前記認定にかかる諸般の事情を考慮するときは、控訴人らの右精神的苦痛を慰藉するには、控訴人洋章及び同和子に対しそれぞれ四〇〇万円宛の慰藉料を支払うべきものとするのが相当である。また、控訴人らは、本件訴訟を控訴人ら訴訟代理人に委任して追行したので、その費用相当額の損害を被るべきところ、本件事案の困難性、訴訟に要した期間、認容額等を考慮すれば、弁護士費用として請求しうる金額は控訴人洋章及び同和子につきそれぞれ五〇万円と認定するのが相当であり、弁論の全趣旨によれば、その履行期は本判決確定の日とすべきである。

六そうすると、控訴人らの本訴請求は、被控訴人国に対し各四五〇万円及びこの内慰藉料四〇〇万円に対する履行期到来後であり本件訴状送達日の翌日であることが記録上明らかな昭和五三年九月三日から支払済に至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金、弁護士費用五〇万円に対する本判決確定の日の翌日から支払済に至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるから、その限度でこれを認容し、被控訴人国に対するその余の請求及び被控訴人徳江に対する請求は理由がないから棄却すべきである。

よつて、原判決中これと異なる部分は不当であり、控訴人らの本件各控訴は一部理由があるから原判決を主文一項括弧内のとおり変更し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法九六条、八九条、九二条、九三条を各適用し、仮執行宣言の申立は相当でないからこれを却下し、主文のとおり判決する。

(川添萬夫 新海順次 相良甲子彦)

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